第二次世界大戦中、幡多郡大正町で津賀ダムの建設にかかわった朝鮮人
の「名簿」が、11日までに同町所有の資料の中から見つかった。県内で
はこれまでに幡多郡や高知市などの学校名簿の「保護者欄」から朝鮮人の
氏名が断片的に判明していたが、事業所単位でまとまって朝鮮人労働者の
名が確認されたのは県内では初。強制連行の実態を調べている関係者は、
この資料を元に韓国側と共同で遺族の掘り起こしなどに取り組む考え。
1900年代、日本は朝鮮半島を間接、直接的に支配し、土地を奪われ
た朝鮮人の一部は就労のため渡日。また日本政府は1939(昭和14)
年から45年まで強制連行を実施し、戦前、日本には800万人の朝鮮人
がいたと言われている。
本県では1991(平成3)年に平和団体や在日本朝鮮人総連合会(朝
鮮総連)県本部が「県朝鮮人強制連行真相調査団」を結成し、3年がかり
で統計資料や証言などを収集。ダムや鉱山、軍事施設など県内17市町村
24カ所の工事現場に、強制連行された人だけでも1万人以上の朝鮮人が
いたと結論付けている。
今回見つかったのは、旧大正村役場の「昭和19年2月22日現在 人
口調査照査表」。36年ぶりの町史編さん作業を進めている町史編集会議
が昨年末、役場の土蔵で見つけ、その後の調べで、同町大奈路と下道にあ
った津賀ダム建設の事業場(作業員宿舎)の名簿が含まれていることが分
かった。
名簿には、調査に対する申告義務者(世帯主)の氏名が2事業場で合わ
せて99人記載されていた。このほかに名前はないが、家族らを含めて「
666人」がいたことも記されていた。
真相調査団の朝鮮人側の代表者で朝鮮総連県本部委員長の黄英信さんは
、99人のうち16人は朝鮮名▽創氏改名したものの姓名の一部に朝鮮名
が残っている人が54人―と指摘。
また、同調査団とは別に独自に強制連行などの実態を追っている幡多高
校生ゼミナール顧問の山下正寿さんは「労働者の中でも日本人は旧村内の
民家に寄宿し、朝鮮人だけが事業場(の宿舎)に集められていた」という
地元住民の証言から「全員が朝鮮人と見るのが合理的」と分析している。
津賀ダム建設にかかわった朝鮮人労働者の数について同調査団が今まで
に得ていたのは、「60人の朝鮮人がいた」という証言と、同ダムと現い
の町内の発電所工事を請け負った「堀内組」に敗戦時、朝鮮人労働者38
4人、その家族36人がいたという資料だけだった。
韓国政府は昨年、「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会」を設立。
同会との連携を模索している山下さんらは「名簿を元に遺族をたどり、生
前の記録の一部として伝えたい」と話している。
朝鮮人労働者の名簿は、県外では炭鉱労働者の名簿を企業が所有してい
たケースが多くある。
ソース:高知新聞
http://www.kochinews.co.jp/0504/050412headline03.htm#shimen3